
1154年のイドリースィー世界図を史料から読み解く
イドリースィーの1154年の地理事業を、アラビア語本文、70枚の区分図、失われた銀盤、現存写本と近代の合成図から読み解きます。南が上の方位、13世紀写本と1844年入蔵の模写図、ミラー関連図の1927~1929年の記録を区別し、1153・1154・約1157年という異なる年代の出典と、地域の精度や政治的境界の限界を示します。
イドリースィーがシチリア王ルッジェーロ2世のためにまとめた地理書は、アラビア語による世界の記述と70枚の地域別地図を組み合わせた作品である。1154年は中世の地理事業に結び付く年であり、現在よく見かける横長の世界図そのものの制作年とは限らない。伝統的な図では意図的に南を上に置く。委託の記述に登場する銀製の地図盤は現存していない。
作品と個々の複本を分けると、この地図をめぐる混乱の多くを説明できる。13世紀の写本、19世紀の模写図、コンラート・ミラーが20世紀に作った合成図は、いずれもイドリースィーの地理知識を伝え得るが、異なる物である。制作年代、文字、欠損、編集上の変更が、それぞれから読み取れる情報を左右する。
地理事業には何が含まれていたか
| 作品または伝承の構成要素 | 得られる情報 | それだけでは分からないこと |
|---|---|---|
| 通常『ヌズハト・アル=ムシュターク』または『ルッジェーロの書』と呼ばれるアラビア語地理書 | 地名、経路、距離、産物、社会の記述 | 著者が記述した全地点を実際に訪れたか |
| 7×10の配列による70枚の区分図 | 地域ごとの図と説明を結び付ける体系 | すべての現存写本に70枚が残っているか |
| 一部の写本にある小さな円形世界図 | その写本に含まれる世界の概観 | 失われた銀盤を正確に写した図であるか |
| 委託に関する記述に登場する銀製地図盤 | 地理事業の物質的な構成についての伝承 | 現物の寸法や図を現在調べられるか |
| 後代の写本や模写図 | 中世の作品を伝える具体的な証拠 | イドリースィー自身の作図過程の直接観察 |
| 近代に作られた合成世界図 | 区分図を一枚にまとめた便利な概観 | 1154年に作られた無加工の長方形の原図であるか |
本文と地図は一緒に読むべきだが、伝える内容は同じではない。図は川、島、町の位置関係を示せる。一方、文章は旅程、作物、集落について、画像だけでは分からない説明を加える。近代の合成図は世界の全体像を見やすくする代わりに、対応する本文を画面の外へ追いやることがある。
ルッジェーロ2世の宮廷で何が行われたか
ムハンマド・アル=イドリースィーは、セウタ、アラビア語の地理学、パレルモのルッジェーロ2世の宮廷と関係する12世紀のムスリム地理学者である。生年は通常1100年ごろとされる。出身地や伝えられる旅行歴は西地中海とのつながりを理解する助けになるが、短い伝記に並ぶ移動をすべて同じ確度の現地観察とみなすことはできない。
シチリアはラテン語、ギリシア語、アラビア語の伝統が交わり、南ヨーロッパと北アフリカの間に位置した。政府が集落、港、道路、農業、周辺領域の情報を求めたことには具体的な背景がある。キャサリン・ジャッカの研究は、地理書の委託を1139年以降の王権強化と拡張の構想に位置付ける。これは政治状況についての歴史的解釈であり、正確な委託日を記した王命が残るという意味ではない。
よく挙げられる1138年または1139年ごろという開始年代にも限定が必要である。S・マクブール・アフマドは、イドリースィーがシチリアに到着した年を特定する一次史料はないと述べる。宮廷の後援は作品を可能にしたが、その状況を一人の探検家の達成だけに縮めたり、征服や権力の不均衡がない理想的な宮廷として描いたりするべきではない。ルッジェーロ2世が1154年に死去した後、王位を継いだのはグリエルモ1世(William I)である。
画像と同じくらいアラビア語本文が大切な理由
作品名は通常『ヌズハト・アル=ムシュターク』(Nuzhat al-mushtaq)と略される。『ルッジェーロの書』は後援者から作品を特定する呼び名であり、「タブラ・ロジェリアナ」(Tabula Rogeriana)は地図表現に付されることの多いラテン語系の名称である。目録や版を探す際に便利な名前でも、長い本文、区分図、円形の概観図、近代の合成図が同一の物になるわけではない。
地理書は町、川、山、経路、産物、農業、政治的な領域を記す。人々の移動や生活に関心を持つ読者には、その情報が欠かせない。航路上で港がどの順番に現れるかは、海岸線が現代の地図にどれほど似ているかより役立つ場合がある。作物や交易品の記述は、色分けした地域の図だけでは説明されない関係を示す。
Arc Humanities Pressが2024年に刊行した英訳は、この広がりを理解する一例となる。収録範囲は序文と、シチリア、南イタリア、アドリア海、イフリーキヤの選ばれた記述である。地理書の相当部分への入口ではあるが、全地域を訳した全訳ではない。付属の地図は文章をたどる手助けになり、文章に代わるものではない。
特定の場所を調べるなら、その場所の記述と対応する区分図を合わせて読むとよい。両者の細部は必ずしも完全には一致しない。この作品を地理知識を整理する写本の体系と捉えることは、その働きを説明する。現代のGISの座標レイヤーや検索機能を使っていたとする説明にはならない。
七つの気候帯から70枚の区分図へ
人が住む世界は七つの大きな気候帯に分けられ、各帯が西から東へさらに十の区分に分けられた。これによって70の地域単位ができる。ここでいう気候帯は受け継がれた地理学的な区分であり、現代の降水量、気温、国境による分類とは異なる。
この構成は写本にも適していた。一枚の巨大な紙を広げる代わりに、読者は説明を読みながら地域別の図をたどれる。7×10の合成図は、それらを壁面、見開き、画面で見やすい形にまとめる。ただし、つなぎ目、損傷した部分、地名の綴り、写本間の違いをどう扱うかについて、合成する側の判断が入る。
70という数は予定された構造を示し、すべての現存写本の収録数を保証しない。フランス国立図書館(BnF)はArabe 2221を13世紀のマグリブ写本とし、68枚の地図を記載する。ある存本の欠落や不完全さを、そのまま原構想の別の枚数に置き換えることはできない。逆に、近代の画像が完全な格子を示していても、一つの中世写本が全区分を損傷なく保存した証拠にはならない。
円形の概観図には別の数え方が必要となる。一部の写本に含まれるこうした図は、地域別の格子とは異なる方式で世界を配置する。長方形の区分図の一枚として数えたり、現存する銀盤として提示したりせず、個別に特定するべきである。図の形、本の中の位置、写本の識別情報が判断に関わる。
南を上にした図を読む
よく知られるイドリースィーの地図の伝統では、上が南、下が北である。そのため東西も、現代の北が上の壁掛け地図から予想する側とは違って見える。これは読む人の向きを変える約束事であり、作り手が誤って大陸を逆さまに置いたことを意味しない。
イェール大学によるミラーの復元図の説明は、南を上にする配置とアラビア語の文字を読む向きを結び付ける。文字と地図は、一緒に設計されたページとして考える必要がある。画像を回転すれば、現代の読者には地中海が見分けやすくなるかもしれない。しかし、その回転によって文字は本来の読める向きから外れる。
一つの複製の歴史には、写本での配置、近代の版が選んだ配置、現在のウェブサイトや出版物が施した回転という三つの段階があり得る。オックスフォード大学のCabinetは、ラテン文字に転写された地名を持ち、北を上に表示する1929年の複製を説明する。この展示方法から、すべての中世写本で北が上だったとは言えない。
分かりやすい画像説明は、どの方角が上か、回転したかどうかを示す。授業で両方の向きを並べれば、約束事が地域の認識にどう影響するかを見せられる。その場合も、回転した図は編集された表示だと分かるようにする。現代の北上の慣習は比較の手掛かりであって、過去のすべての地図を裁く普遍的な規則ではない。
いま表示されているのはどの物か
画像には一つの年だけが付いていることが多いが、本来は複数の出来事を区別すべきである。原作品の編纂、写本の制作、模写図の制作、図書館の入手、復元図の刊行は別々に起きる。以下の目録や説明は、その区別が必要な理由を示す。
| 記録が特定する物 | 記録にある年代 | 読み取るべき区別 |
|---|---|---|
| BnFの地中海教材が説明するArabe 2221 | 13世紀のマグリブ写本 | 後代の写本であり、この存本には68枚の地図が記載される |
| BnFの『Carte générale du globe tirée d’El-Edrisi』、請求記号GE AA-2004 | 19世紀の手描き模写図、1844年入蔵 | Arabe 2221に基づく模写図。入蔵年は中世の原作品の編纂年ではない |
| 米国議会図書館の『Charta Rogeriana』、資料番号2007626789 | 1928年、シュトゥットガルトで刊行 | 北を下にしたミラーの六枚組復元図 |
| ミラーの復元図に付随する、目録に記載された題名 | 1927年の復元に言及 | 付随する題名に示された復元年であり、1928年の刊行記録とは区別する |
| オックスフォード大学Cabinetの複製 | 1929年 | ラテン文字の地名を持ち、北を上に展示される関連複製 |
BnFの模写図が古い写本の情報を忠実に伝えていても、模写図自体が中世の物になるわけではない。同じく、米国議会図書館のデジタル化された出版物は地理書への接近を容易にするが、自筆原稿ではない。目録の題名と識別番号があれば、実際にどの物が複製されているかを確かめられる。
したがって1927年、1928年、1929年は、それぞれの記録と一緒に示すべきである。ミラーに関係するすべての画像について一つの共通年を決める必要はない。オンラインで切り抜かれた図は、版を識別する題名や余白の情報を失っている場合がある。画像説明を書く前に、所蔵機関の記録へ戻る理由はそこにある。
失われた銀盤について言えること
委託に関する記述には、大きな銀製地図盤と作図板が登場する。どちらも現存しない。アフマドは、それらの伝えられた物と書物の区分図を分け、1160年または1161年の政変で銀盤が失われたという話には確定的な証拠がないと注意する。
伝えられた重量、現代の単位への換算、現物を測った確かな値は、異なる種類の説明である。目を引く寸法や破壊の物語にも、誰の説明か、何が不確かなのかを残す必要がある。それらは、いま存在しない物の実測に代わるものにはならない。
新しく描いた銀の板は、伝承上の物を説明する図である。復元と明記すれば地理事業を理解する助けになるが、円形の紙の地図や長方形の近代合成図を失われた銀盤の写真として扱うことはできない。地理書を詳しく研究するために使えるのは、本文と後代の写本による証拠である。
一人の旅行と地理情報の編纂はどう違うか
イドリースィーが扱った地理的な範囲は、一人の旅程をはるかに超えている。作品には、以前の地理学、道や場所についての報告、宮廷で利用できた知識、材料をどう組み合わせるかという編纂者の判断が入る。本人の経験もその情報網の一部だが、すべての記述が本人の目撃報告になるわけではない。
地名は異なる話し方や綴りで編纂者に届き得る。経路は、立ち寄り先の順序、航海の日数、特定の単位で表された距離として記憶される場合がある。ある島の報告は港を重視し、別の報告は農産物を重視するかもしれない。それらを統合するには比較と判断が必要で、食い違いを解消するだけでなく残す場合もある。
後代の旅行記と比べると、この違いが見えやすい。イブン・バットゥータの旅が『リフラ』になった経緯は、旅、回想、宮廷の命による文章化、写本の記録を分ける。これは証拠の種類を比べるための例であり、14世紀のイブン・バットゥータが12世紀の地理書に協力した証拠ではない。
報告の確認のために使者を派遣したという物語にも、出典の帰属が必要である。それは情報を比較する意図を示すが、その説明だけでは、独立に確認された調査組織の人数や調査範囲を示せない。編纂の営みを現代の現地測量機関に置き換えなくても、また無判断の転写として切り捨てなくても、作品を批判的に読める。
正確さは何を確かめるかで変わる
この地理事業全体の精度を一つの百分率で表しても役には立たない。島の位置、港の順番、道の距離、町の名、産物の説明は、それぞれ別の主張である。適した証拠で個別に調べる必要がある。現代の読者には奇妙な形でも意味のある経路順序を残す場合があり、見慣れた輪郭でも地名の同定が不確かなことがある。
A・F・L・ビーストンのブリテン諸島研究は、局地的な問題を示す。公開されている抜粋は七気候帯の構成を説明し、アラビア語地名に対する以前の同定が修正され、一部は論争が残ることを述べる。ある写本の綴りと別の写本の綴りが異なる同定案につながり得るため、存本同士の比較が必要となる。
地中海と周辺では地名や説明が比較的密に存在するが、密度は一律の精密さではない。文章の距離と図上の位置には、それぞれ異なる説明が必要なこともある。歴史的な名は、現代の一つの行政区名にきれいに対応しない集落、地域、経路を指す場合がある。
イドリースィーの業績は、大規模な中世地理情報を整理した規模と構成にある。詳細な観察、受け継いだ説明、誤りが同じ作品に共存し得る。「当時最も正確な地図」という評価が意味を持つのは、比較する地域、対照となる証拠、測る特徴が明示された場合である。
政治的な名にはその時代を残す
中世の地理を示す図に、現代国家の境界を説明なしに付け加えるべきではない。現代の国境を重ねると地域の位置を探しやすいが、それが後から加えた情報であり、どの年の境界かを分かるようにする必要がある。地名や地理的説明だけで、一人の君主の主権が及ぶ範囲を決められるわけではない。
コルドバ・カリフ国の929~1031年の歴史は、制度の終結と地域の長い歴史を分ける例になる。カリフ国の解体を示す1031年は、1154年の地理事業より前である。その後のイベリアのムスリム統治地域は、タイファ諸国や北アフリカの王朝を通じて変化し、12世紀もその変化の中にある。コルドバの制度史を、1154年の政体や安定したアンダルスの国境として図に投影することはできない。制度の終わりは、地域の文化や全住民の暮らしの終わりを意味しない。
西アフリカには別の年代確認がある。マリ帝国の形成と統治は、帝国の成立を13世紀に置き、王権の中心地をめぐる証拠の限界を示す。後の帝国の最大範囲を1154年の地理に書き込むと時代錯誤になる。議論のある都城の同定を、12世紀の図で確実に確認された場所として扱うこともできない。
現代の主題図にはさらに別の区別がある。ムスリム人口とイスラム世界地図の資料は、人数、人口割合、多数派かどうか、OIC加盟を分け、人口データの基準年を示す。これらは現代の指標である。どれも中世の政治権力をそのまま表す情報層ではなく、現在の人口地図から12世紀の集落の宗教構成を知ることはできない。
写本の違いは解釈にどう関わるか
現存する証拠には、イドリースィーの死後に作られた複本が含まれる。完全さ、綴り、色、描き方、配列が異なり得る。葉の欠落、損傷、再製本、筆写時の選択によって、個々の存本で見えるものが変わる。したがって、画像の細部を証拠として使う前に、写本や版と結び付ける必要がある。
これは区分図をつないだ世界図で特に問題になる。復元する編集者は、複数の存本を使ったり、異読の中から一つを選んだりする場合がある。完成図は、材料になった写本より均一に見え得る。整った輪郭は提示の特徴であって、どの地域でも証拠が同じ程度に完全だったことの証明ではない。
図書館の目録は、請求記号、物の説明、入手経緯、記載年代を確かめる出発点となる。ただし、目録だけで全地名の同定が独立に解決するわけではない。地域研究は地理的な議論を検討できるが、すべての図葉について現在の所蔵状況を確認したことにはならない。物の記録と研究上の解釈は違う問いに答え、組み合わせると役立つ。
伝本の歴史がある以上、最も古そうに見える絵と最も確かな読みを単純に同一視することもできない。後代の複本が、損傷した早い存本にはない有用な細部を残す場合がある。比較するのは、どの特徴があり、どの存本がそれを伝え、対応する本文とどの程度合うかである。
完成年代を出典別に示す理由
ルッジェーロの地理事業を位置付ける通常の年は1154年である。アフマドは、序文で述べられる完成について、ヒジュラ暦548年シャウワール月に対応する1154年1月を示す。米国議会図書館の解説も1154年の地理書として扱う。これらは中世作品の編纂に関する説明であり、現存する模写図や近代の復元図の制作年ではない。
閲覧できる現代の説明は完全にはそろっていない。ビーストンの公開抜粋は1153年を用い、Arc Humanities Pressの2024年英訳の説明は約1157年の完成を示す。いずれも出典を特定できる公刊された説明である。違いを出典付きで示すべきであり、利用できる資料が証明しない改訂や刊行の順序を作って整合させてはならない。
短い年代整理でもこの区別を保てる。1100年ごろの出生、慣例的に1138年または1139年ごろに置かれる委託、1154年と結び付く主要な完成、後代の写本、BnFの19世紀模写図と1844年入蔵、個別に記録された20世紀の複製である。概算や論争のある項目は、機関が示す入蔵年や刊行年とは違う確度だと見えるようにする。
大胆な同定や画像説明を確かめる
回転した輪郭がアメリカ、オーストラリア、南極を表すという主張には、現代の海岸線との見た目の類似以上の証拠が必要である。説得力のある同定には、対応する地名、説明文、追跡できる写本の来歴、情報が編纂者へ届く経路の証拠が求められる。ここで検討した資料は、そのような同定を確立しない。形を引き伸ばして見慣れた姿にしても、欠けた証拠は補えない。
同じ確認方法は普通に見える画像説明にも使える。「世界地図、1154年」は歴史的な事業を名指すが、表示物が1928年刊行のミラー図であることを隠す場合がある。有用な説明は、所蔵機関と資料番号、物や版の年代、中世の作品との関係、表示方位、回転や追加した地名を示す。
地域別の写本画像には、請求記号と関連する葉、または気候帯と区分を付す。合成図には復元者と版を示す。再着色、接合、境界線の重ね描きがあれば、その変更も説明する。この情報があれば、転載された画像をそれ自身の証拠とせず、物の記録へたどり直せる。
イドリースィーの地理は、文章、地域別の図、複本の歴史を結び付けて読むと理解しやすい。まず物を特定すれば、何を描いた図なのか、情報はどう整理されたか、どこに限界があるかを、より確かな根拠から考えられる。
出典
- 米国議会図書館『Charta Rogeriana』、資料番号2007626789。目録はミラーの六枚組出版物、1928年の刊行、南が上の配置を特定し、付随する題名には1927年の復元が記される。近代の版と中世の事業を区別する根拠として用いた。
- 米国議会図書館「The Islamic World Map of 1154」。公開解説は通常の1154年という位置付け、地域別の構成、中世の地理書とミラーの画像の違いを支える。
- フランス国立図書館『Carte générale du globe tirée d’El-Edrisi』。記録はArabe 2221に由来する19世紀の手描き模写図を特定し、1844年の入蔵を示す。入蔵と原作品の編纂を別の年代として扱った。
- フランス国立図書館、第四気候帯・第二区分の地中海諸島。短い写本説明はArabe 2221を13世紀のマグリブ存本とし、68枚の地図を挙げる。この数を当該存本の情報として用い、70区分の構想を置き換えなかった。
- S. Maqbul Ahmad「Cartography of al-Sharif al-Idrisi」、『The History of Cartography』。156~163頁の八頁を用い、出典付きの完成・到着年代、写本の形、銀製物についての限定を確認した。章全体を通読したとはしていない。
- A. F. L. Beeston「Idrisi’s Account of the British Isles」。公開抜粋を、地名同定の論争と写本比較という地域別の例に用いた。そこで示される1153年は出典に帰属させ、有料の論文全文を利用したとはしていない。
- Katherine Jacka「The True Nature of His Lands」、『Designing Norman Sicily』。第三章の公開要約全体を用い、委託を1139年以降の政治構想と結び付ける著者の議論と、シチリアの詳しい記述を確認した。章本文全体を読んだとはしていない。
- Arc Humanities Press『Al-Idrisi’s Norman Kingdom in the South』。出版社の説明と目次から、2024年英訳の選択的な収録範囲と、約1157年という完成年代を確認した。説明は特定の後続改訂順序を証明するものではない。
- イェール大学「Al-Idrisi’s Map, 1154」。公開解説を、ミラーの復元と南上配置・アラビア文字の関係に限って用いた。同ページの伝記的な記述は根拠にしなかった。
- オックスフォード大学Cabinet「Tabula Rogeriana」。短い物の説明は、ラテン文字の地名と北上表示を持つ1929年の複製を特定する。その個別の複製を示す記録として用い、すべての近代合成図の共通年とはしなかった。